そのころ――福米屋の地下牢。

ザバァッ!!

冷たい水が無慈悲に振りかけられる。

澄音

お、おやめください……!

澄音はびしょ濡れのまま
寒さに震えながら必死に声をあげた。

しかし、それを見下ろすフミの
表情には、一片の同情もない。

フミ

誰と会っていたのか、申せ!

鋭い声が、石造りの地下牢に
こだまする。

澄音

そ……それは……

澄音は息を呑んだ。確かに
あのとき誰かと会っていた。

だが――その記憶が霧がかかった

ように遠のき、どうしても
思い出せない。

澄音

(どうして……?)

フミ

盗人をかばうつもりか!

澄音

(盗人……?)

その言葉に、澄音の胸がざわついた。

澄音

(あの方が……でも、思い出せない……なぜ……?)

焦燥が募るが、記憶の扉は固く
閉ざされたままだった。

フミは短く息を吐き、冷え冷え
とした声でオスたちに命じた。

フミ

こいつの服を脱がせ

オスたちがニヤリと笑う。

ザッ――

澄音の両腕が、力強く捕まれた。

フミ

言わぬつもりなら、この者たちに何をされるか……わかるな?

澄音

フミさま、おやめください……! 私は……私は本当に何も覚えていないのです!

フミ

そうか……どうやら、遊んでほしいようだな

オスたちが笑いながら、澄音の
衣を引き裂こうとした――。

澄音

いやぁぁ!!



ドカッ!!

突如、天井から何者かが飛び
降り、一匹のオスの上に落ちた。

ぐえっ……!

下敷きになったオスが呻き声を
上げ、残りのオスたちも驚き、
尻もちをつく。


乱れた空気の中、立ち上がった
のは――鷹丸だった。



鷹丸

盗んだのは俺だ

フミ

そなたが……?

フミもまた、鷹丸との記憶を
すっかり忘れていた。

あの日、教会の前で偶然に
出会い、ともに釣り糸を垂れた
静かな時間――その面影すら
霧の如く薄れておった。

されど、目の前に立つオスに
どこか胸騒ぎを覚えたのもまた事実。

フミ

どこかで……会ったか?

フミ

いや、ありえぬ。このような妖気まといしオスと、交わる機会などあるはずもない

思考を断ち切るように、フミは
鋭き視線を鷹丸に向けた。

鷹丸

澄音にゃ、関係ねぇ……これ以上、拷問なんかするんじゃねぇ

フミ

絵画はどこにある?

鷹丸

澄音を解放しろ。それなら渡してやらぁ

鷹丸の言葉に、フミはしばし
沈黙する。

フミ

なるほど……

その声は、まるで何かを
見透かすようだった――。

フミは静かに息を吐き
冷たい声で命じた。

フミ

わかった。澄音を連れ、外へ出よ

その言葉に従い、鷹丸は気を
失いかけている澄音をそっと
抱き上げた。

彼女の身体は冷え切り
震えている。

鷹丸は眉を寄せ、悔しげに呟いた。

鷹丸

澄音……すまねぇ……おれと関わったばかりに……

あ、あなたは……?

澄音の脳裏に、暖かな光のような

記憶がかすかに浮かび上がった。

しかし、
それはすぐに霧の中へ消え去る。

大事な何かを忘れてしまっている

――それだけは分かるのに
なぜ思い出せないのか。



鷹丸は切なげに目を伏せたが
すぐにふっと微笑みを作った

その瞬間――

ヒュッ


鋭い気配が走り

鷹丸の肌がざわついた

何者かが近づいてくる――!

とっさに澄音を地面に下ろした

鈍い音とともに、鋭い痛みが
背中を貫く。

鷹丸

ぐっ……!

刀の刃先が背中から腹へと突き
刺さり、鷹丸の口から鮮血が溢れた。

澄音

きゃあぁぁ!

澄音が悲鳴を上げる。

どこからともなく忍び寄った

黒装束の男は静かに立っていた。

影のように気配を消し
無機質な目で鷹丸を見下ろす。

その眼差しには、一片の情もなかった。

.........

忍びの者か……?

鷹丸が呻くように問うと
忍びのオスは無言のまま刀を
引き抜く。

そして
一瞬の間を置かず
澄音の首に刀を突きつけた。

澄音

!?

フミ

絵画はどこだ

フミ

言わねば澄音も同じ目に遭うぞ

忍びの男の刃が、澄音の喉元に
ぴたりと触れる。

その鋭さは肌を切り裂くのに
十分だった。

鷹丸の視界が揺らぐ。

傷口から流れる血が止まらず
膝が崩れ、地に伏す。

ぐっ……!

フミ

さあ、言え

フミの命令とともに、忍びの
刃がじわりと喉を押し込んで
いく

澄音の白い肌に細い紅が滲んでいた

絵は……とうに……教会に戻した……

鷹丸は苦しげに吐き出した。

フミ

そうか。ならば教会で魔女裁判の準備を進めよう。澄音を連れてゆけ

忍びの男は澄音の身体を担ぎ
上げ、暗闇へと消えていく。

ま、待て……!

鷹丸は床に落ちた血の海に手を
つき、震える腕で必死に上体を
起こそうとした。

だが、身体は言うことを聞かない。

それでも、澄音だけは助けたかった。

澄音を解放すると言っただろう……!

フミは、鷹丸の血に染まった
手を冷ややかに見下ろし
くすりと笑った。

フミ

さあ、盗人にそんな約束をした覚えなどないわ

待ってくれ……生贄がほしいなら、おれがなる……だから、澄音を……!

血が滴る腕でフミの裾を掴む。

だが、フミは忌々(いまいま)
しげにその手を払い落とした。

フミ

お前のようなものが生贄になるか

その時――

コツ、コツ……

静かに響く足音が
冷たい牢獄に満ちる。

福米屋

やれやれ……まさか妖混じりの盗人とは。面白いではないか

長次郎の細い目が、まるで
獲物を品定めするように
鷹丸を見つめた。

姿を現したのは、福米屋の
長次郎だった。

陰気な笑みを浮かべながら
フミの横に立つ。

フミ

私はすぐに教会にまいります。この者は、いかがなさいましょう?

福米屋

ふむ……妖混じりとは厄介なものだ。なかなか死なぬとなれば、扱いにも困るな……。

福米屋

まあいい。フミ、儀式の準備を進めよ。ここは私に任せておけ。

フミ

それでは――

そう言い残し、フミは長次郎と
ともに地下牢を後にした。

残されたのは、傷だらけで血に
塗れた鷹丸だけだった。

澄音……守れなかった……

意識が沈んでいく中
鷹丸の拳が、静かに床を叩いた――。

地下牢の暗闇に響く絶望

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