福米屋はわずかに笑みを
浮かべると、背後の襖を
そっと開いた。
そこには一人のシスターが
静かに佇んでいた。
そのころ
料亭「猫花楼(ねこはなろう)」の奥座敷にて、福米屋と将軍の
側室・八千代がひそかに言葉を交わしておった。
福米屋、その呪術の絵画とやら、本当に存在するのか?
はい、間違いございません。その絵には古の呪術が込められており、
持つ者に災いをもたらすと伝えられております
災いをもたらすような代物を、上様に献上することなどできぬぞ
ですが、それは表向きの話にございます
どういうことだ?
福米屋はわずかに笑みを
浮かべると、背後の襖を
そっと開いた。
そこには一人のシスターが
静かに佇んでいた。
八千代様、お初にお目にかかります。フミと申します
この者は何者だ?
この絵が保管されている教会の者にございます
その者、信頼できるのか?
八千代様、この者は金のため、いや、教会から解放されるためなら、
どんなことでもする者でございます。どうぞ、安心してお任せくださいませ
ほう……して、その“表向き”とはどういう意味だ?
フミは八千代をまっすぐに
見据え、静かに語り始めました。
私は長らくあの絵について調べてまいりました。
そして教会に伝わる古書の中に、その歴史を記した記録を見つけたのです
その絵には、西洋の魔女が宿っているとされております。
その魔女は、かつて魔女狩りに遭い、火あぶりの刑に処されたメス猫……。
猫たちは彼女の呪いを恐れ、その絵を忌まわしきものとして扱いました。
しかし、それはただの呪われた絵ではございません
どういうことだ?
持つ者に災いをもたらす、というのは半ば偽り。真の力は、
絵の所有者が“生贄”を捧げたときに発揮されるのです。
魔女の加護を得た家は莫大な財を築くことができる。しかし……
この力を求める者は、決して絵を他人に見せてはなりません。
そして、もし他者がその力を欲したならば、現所有者を生贄に捧げねばならぬのです。
絵の持ち主が変わるたびに、前の所有者は火あぶりの運命を辿る……それこそが、この絵の真なる恐ろしさ
八千代は息をのんだ。
つまり……その絵を持つ者は、いずれ己も生贄にされる運命にある、ということか?
はい。その絵は富と引き換えに、命を喰らう——まこと恐ろしき、呪われし絵画なのです
……信じがたいな。まこと、そのような絵が存在するというのか?
この世に富をもたらすものは数あれど——
それが血によって贖《あがなわ》われるものであれば……さて、八千代様は如何《いかが》に?
パチリ
八千代の白き指が扇を閉じ
静寂が場を支配しておった
……もしや、その絵の力が真に富をもたらすのならば……
八千代の瞳に、一族の行く末が映る。
正室の産んだ嫡男(ちゃくなん)は病に伏し、家督《かとく》を
継ぐは叶わぬ身。
ならば、己が産んだ子こそが
後継となるべき――されど、
重臣どもはそれを良しとせぬ。
側室の子と侮《あなど》られぬ
ためには、まずは上様の信頼を
得ねばならぬ。
そのために、この絵を使うのだ。
上様に持たせ財を築かせれば
藩の繁栄と共に己の影響力も増す。
信頼を得たその先には、己の子を
後継として認めさせる道も開けよう。
そして、もしも邪魔が入るようなら――最後の手もある。
この絵の呪いが、さらなる道を
示してくれようぞ。
・・・
して、そなたの狙いは何じゃ?
はい。もし上様にこの絵をお納めくださるのであれば、私は八千代様のもとに置いていただきたく存じます
ふむ……そなた、私に仕えたいと申すか?
はい。私は両親を持たぬ孤児。身分も低く、このままただ祈るだけの人生を終えるなど
あまりにも虚《むな》しゅうございます。
されど、八千代様のおそばに仕えること叶うならば——何かとお役に立てましょう
しばしの沈黙。
やがて、八千代はふっと笑みを漏らす。
面白いメス猫じゃ
盃を置き、妖しく微笑む八千代
福米屋が八千代の前に
静かに酒をついだ
さあ、八千代様、どうぞお飲みくだされ
八千代は、その杯を受け取ると
ひと口、静かに飲み干した
福米屋、その絵は本物に違いないのだろうな?
はい、その絵を所持していた者の側近が確認しておりますゆえ、間違いなく本物かと存じます
では側近の者がその絵を狙っているのではないか?
はい。ですが、そこはご安心いただければと存じます。何分、私にお任せくだされば、問題ございません
わかった。では、近いうちにその絵を見にいこうではないか
はい、是非とも。しかし、小屋に飾ってあるものは偽物でございます
偽物?
本物が隠されている場所を知っているのは、教会のシスター長と、
おまとめ役の者でございます。八千代様、どうかそのことだけはご承知ください
八千代様・・・(ヒソヒソ)
八千代はその言葉を受け
しばし無言で耳打ちを
聞き入れた後、扇子を
パチンと鳴らした
うむ、わかった
八千代はゆっくりと立ち上がり
よい情報をくれた。では、今後の手はずを整えておこう。心しておけ
フミはその言葉を受けて
深く頭を下げました。
部屋の中に漂う酒の香りが
次第に濃くなり
静かな夜の中に新たな計画が
生まれたことを
暗示していたのでございます。