ベンチから飛び退いた俺たちに、いつの間に現れたのか眼鏡をかけた男は、笑顔を浮かべながら頭を下げた。



うわっ!





なんだ?!





な、なに……?


ベンチから飛び退いた俺たちに、いつの間に現れたのか眼鏡をかけた男は、笑顔を浮かべながら頭を下げた。



これはこれは、申し訳ありません


そう言って頭を上げた後も笑顔は絶えなかったが、その視線は既に俺たち三人には向けられていなかった。この広場に集まった十人を見回し、満足そうに頷く。



間違いなく、全員集まっているようですね


確認のようにそう言った男に、今までと同じように宝条学が進み出て、対応する。



あなたが、DPlayの方ですか?





いかにも。わたくしはジョークと申します。今回、この鬼ごっこの司会を務めさせていただくことになっております


ジョークと名乗った男がそう自己紹介すると、さっきから考え込むように黙っていたスーツの男が口を開いた。



メールには鬼ごっこと書かれていたが、これはどういうことだ?


少し怒気のこもった声音だったが、ジョークは全く臆することなく、変わらない笑顔で応答した。



どういうこと……と言われましても、鬼ごっこは鬼ごっこでございます。皆様方も一度はされたことがあるであろう、〝あの〟鬼ごっこでございますが……。





それを僕らにやれと?





左様でございますが、何か?


まるでするのが当たり前だと言う様な態度をとるジョークに、スーツの男はイラつきを覗かせながら言った。



なぜやる必要がある?
……もう一度言う。どういうことだ?





そう言われましても……


詰め寄る男と、どう答えたものかと悩むジョーク。
俺は二人を見ながら、宝条学に声をかけた。今までの経験から、宝条学に任せるのが一番安全な気がするからだ。



これ、何とかならない?





そう言われても、俺もよく知らないからな……。
本人から説明してもらった方がいいだろう


確かにそうだが、このままでは要領を得ない気が……。
俺が――いや、その場にいるほとんどの人がそう思っただろう時、ジョークはため息をついて、そのやり取りに一旦の区切りをつけた。場が静まり、スーツの男も口を閉ざす。
やがて、ジョークはスーツの男の一歩前まで出ると、聞こえるか聞こえないかくらいの――スーツの男にだけ聞こえるかのような声量で、言った。



――少し、黙っていてもらえますか?





ひっ……


その、変わらない笑顔の内に秘めた圧に、如実に反応したのは宝条絢香だった。俺の服の袖を掴み、隠れるようにして縮こまってしまった。それを横目に見たジョークは、スッと『元の笑顔』に戻って、スーツの男からも離れた。
――正直、俺もビビっていた。上手く説明は出来ないが、あの、不気味な笑顔に。
――その後、俺たち十人はジョークに連れられ、デパートの入口の前まで来た。いつもなら十時まで開いているのだが、今回はジョーク――正確には株式会社Dplay――が借りたらしく、既に閉まっている。



それでは、ルール説明の前に、簡単に自己紹介でもしておきましょうか。
皆様にはそれぞれエントリー№と呼ばれるものがあるはずです。それに従って、自己紹介していただきましょう。


この時点で既に、誰も何も言わなかった。……いや、言えなかったというべきか。
しかしその代わり、さっさと終えて早く帰りたいという思いが強く感じられた。俺も、そう思う。
――と、ジョークに言われるまま、各々の自己紹介が始まった。
まずはエントリー№1。
――この子は、色んな意味で、それまでこの空間に漂っていた重苦しい空気を吹き飛ばしてくれた。



エントリー№1! 草原志乃(くさはらしの)ですっ!
何かよく分からないんですけど、よろしくお願いします!


――と、こんな風に、今までの流れをまるで無かったかのように自己紹介した彼女のおかげで、少しばかり空気は弛緩したようだった。……特に、斎藤輝に関しては。



志乃ちゃん助かったよ~! 危うく発狂するところだった!


今はいつもの調子を取り戻して笑っているが、さっきまで凄く辛そうだった。本人の言う通り、あんな感じの空気は苦手なんだろう。
そうして弛緩した空気の中、エントリー№2の宝条絢香、エントリー№3の斎藤輝の自己紹介が進められた。予想通りというべきか、宝条絢香の自己紹介にはそれなりの時間を要した。
――そして、俺の番。



エントリー№4の黒谷陽炎です。変わった名前ですけど、よろしくお願いします





おぉ~、陽炎なんて初めて聞きました!





だよね~!





はいっ!





仲いいな……


会ったばかりなのに……。
これはもう流石というか、斎藤輝の一つの人間性なのかもしれない。……それと、たぶん空気を再び重いものに変えないために。
そうやって、二人が俺の陽炎という名前から既に別の話題に移った頃、次のエントリー№5の人の自己紹介が行われた。



エントリー№5、雪野文恵(ゆきのふみえ)。よろしく


それは、今までで一番素っ気ない自己紹介だった。
だけどおかしいわけでは無くて、適当に挨拶を返したのち、次のエントリー№6の人――宝条学へと移り、そしてエントリー№7の人が自己紹介をする番になった。



……ん?


――のだが。



ジョーク……だったか? 訊きたいことがあるんだが……





はい、何でございましょう?


一応姿は見ていたはずだったのだが、ここへきてようやく、俺たちはあることに気付いた。
――そして恐らく、宝条学が今から言うことは、そのことだ。



この鬼ごっこの参加に、年齢制限はあるのか?


――そう、つまりは。



ねぇ、言ってもいいの?


今俺たちの前にいる男の子は、どこをどう見ても、小学生なのだ。
――確かに、鬼ごっこと言えばそれくらいの年齢かもしれないが、既に時刻は九時を回っている。夏とはいえ、あまり子供一人で歩かせるような時間ではない。
本人とジョーク以外は、恐らくそんなことを考えていると思う。九人が訝しげな表情をしているから、ほぼ間違いないだろう。
――そして質問されたジョークはというと、その男の子を一瞥してから、結局変わらない笑顔で答えた。



そうでございますね……。
上は60、下は12と言ったところでしょうか? 彼は小学六年生なので問題ありませんよ





小学六年生……





ほあ~……


問題ないとはいうものの……だ。
俺たちがその男の子を見ると、その子は不機嫌そうな表情を見せた。



何だよ、何か文句でも?





いや、そういうわけじゃないんだがな……





ならいいだろ? そのジョークって人が大丈夫って言ってんだからさ


かなり気の強い子らしい。俺たちは押し切られるようにして黙り、そして自己紹介が再開された。



ったく……。
エントリー№7、宮野秋雪(みやのあきゆき)。よろしく





よろしくお願いします。
……あの、帰りが遅くなることはご両親の方は?





知ってるよ。……なに? あんたまで馬鹿にすんの?





いえいえ。ただの確認でございます。ご容赦ください





あっそ


宮野秋雪はたじろぐジョークの脇を抜けると、αデパート入口のドアにもたれかかった。少し苛々しているように見えるのは、恐らく子ども扱いされたことが癪に障ったからだろう。



まあ、そういう子もいるよな、たまに……


ませているというか、何というか……。
とにかく、俺たちはそれ以上、宮野秋雪に触れないようにした。また何で突っかかってくるかわかったものじゃない。
――そうして、次はエントリー№8。最初にジョークに突っかかったあの人の番になった。



エントリー№8。池山龍生(いけやまりゅうせい)だ。鬼ごっこなど幼稚じみたものをやるつもりは無いのでそのつもりで


ぶれないなぁ……。
この人の場合は特に話すことも無く、すぐさま次の人へと移った。……のだが、これまた少し面倒な人が来てしまった。



え、えと……


――いかにもな人だった。
手をもじもじとさせているその人は、周りの視線に気づくと何やらぶつぶつと呟き始めたが、距離の関係で聞こえない。



…………





…………


……ただ、女性陣から引かれてるから、そろそろやめておいた方がいいと思うよ……?
――なんて言葉を掛けるわけにもいかず、結局、見かねたジョークが代わりに紹介した。



えっと……こちらの方はエントリー№8の峰吉守(みねよしまもる)様です。
――お間違えございませんね?





え……あ、ひゃいっ!


大丈夫だろうか……。
峰吉守はジョークに返事をした後、再び何やら呟き始めたが、また聞こえなかった。……正直な所、聞きたくもないが。
――そうして、ようやく最後の一人。エントリー№10の人の番となった。見ると、女の子のようだ。
その子は一歩前に出ると、特にたじろいだ様子もなく、淡々とした様子で自己紹介をはじめた。



エントリー№10。雨宮由紀(あめみやゆき)。よろしく





よろしくお願いしますっ!


はじめて同性で歳が近い人がいたからか、草原志乃は、雨宮由紀の素っ気なさに物怖じすることなく、積極的に絡みにいった。
――俺が雨宮由紀に抱いた第一印象は、取っつき難そうな人……だったのだが。



……ええ、よろしく





はいっ!


草原志乃への対応を見た感じ、その印象は間違いだったようだ。人は見た目で判断するものじゃないって、こういうものなんだろう。



…………


――ただ、何だろうか。落ち着き過ぎているというか、普通なら、もうちょっと何か反応があってもいいはずだ。素っ気ない自己紹介をした雪野文恵ですら、宝条絢香と雑談を楽しんでいるように見える。
――対する雨宮由紀のそれはまるで、この先の展開を知っているような……。



……まさかな


俺は少し胸に引っかかるものを覚えながらも、無理やりに納得させた。まず、この先の展開と言ったところで、ただ鬼ごっこをするだけだ。別に何もないじゃないか。
――ともかくも、そうして全員の自己紹介は終わった。
