一階に降りてリビングに向かうと、母さんはソファに腰かけて雑誌を読んでいた。ドアを開けた音で気付いたのか振り返る。
一階に降りてリビングに向かうと、母さんはソファに腰かけて雑誌を読んでいた。ドアを開けた音で気付いたのか振り返る。



あら、勉強は終わったの? お疲れさま





終わったっていうか、一段落かな。
流石に疲れたけど……


肩を回しながら苦笑いすると、母さんは笑って「お茶淹れるわね」と席を立った。キッチンに入り、コップに冷蔵庫から取り出した冷たいお茶を注ぎ入れる。



はい、どうぞ





ありがとう、いただきます


ひんやりとした感触を手の平に受けながら、冷たいお茶でのどを潤す。そういえば四時間ぶっ続けということは、そのあいだ何も飲んでいないことになる。それなりに危なかったかもしれない。
そのせいか、コップ一杯に入っていたお茶は、俺の一気飲みで文字通り一気になくなった。母さんが呆れたような顔を浮かべている。



もう。ちゃんと水分補給くらいしなさいよ?





気をつけます……


母さんにコップを渡し、ソファに座る。その柔らかな感触で、そういえば昼寝しようと思っていたんだということを思い出した。
まあ、流石にもう今から寝ようとは思わないが。
コップを流し台に置いた母さんは、俺の向かいのソファに座った。開いたままだった雑誌を取り、再び読み始める。
俺は話すタイミングを完全に逸してしまう前に、出来るだけ平静を装って訊いてみた。



母さん、夜の九時頃なんだけど、ちょっと友達と遊んできてもいい?





遊ぶって……どこで?





え~っと……


しまった、考えていなかった。
俺は間延びした間投詞で何とか隙間を埋め、その間に考えた適当な理由を答えとした。



近くの公園で……。
花火するんだって


口から出まかせだが、母さんは疑うことなく笑顔で頷いた。



夏といえば花火だものね。
近所の方に迷惑がかからない様にだけはしなさいよ?





もちろん、気をつけるよ


そもそも嘘なので気を付けるも何もないのだが、しかしそれを悟られないように、俺は笑みを作って応えた。
――その後、夕食はどうするかなどの話をして、俺は自室に戻った。
部屋に戻り、ベッドに座る。携帯を見るも、特にメッセージなどはない。
時計を確認すると、まだ五時半にもなっていない。しかし昼寝をすれば、確実に寝過してしまう可能性がある。
俺は増幅していく眠気を感じながらも、横にだけはなるなと自分に言い聞かせた。ベッドに寝転べば、確実に眠ってしまう。それだけは避けなければならない。



何か、眠気覚ましになりそうなもの……


携帯を弄り、アプリを起動させていく。何でもいいから刺激が欲しい。
――と、とある一つのゲームに行き着いた。とても集中力のいるもので、これならいい時間潰しにもなりそうだとスタートを押す。よくよく見れば、ダウンロードするだけして遊んでいなかったやつだった。



なかなか難しいな……


予想以上の難易度に、つい力が籠る。
――そして、それは今最も発動してはいけない俺の癖を呼び覚ましてしまった。



ああっ……くそっ!


それは、ゲームに限り熱中すると、横になってしまうことである。なぜ長年付き合ってきたこの癖のことを考えなかったのかと今更ながら後悔する。
――そして正しく、その次の瞬間には、俺は睡魔にやられ、携帯の画面に表示される『GAME OVER』の文字を最後に眺めながら、静かに睡眠へと入っていってしまったのだった。
携帯の着信音が鳴り、目を覚ます。まだ寝ぼけている俺は、鬼ごっこのことなど忘れ、スリープ解除時に表示される時間を気にかけることなく、メールアプリを開いた。母さんからだ。



陽炎、起きてる?
母さんはちょっと外に出てるから、少し遅くなるわね。何かお弁当でも欲しいのがあったらメールして。
それじゃあ、花火、楽しんできなさいね。





…………


しばらく、母さんからのメールを眺める。
――そして三十秒くらいして、俺は鬼ごっこのことを思い出した。



やばい! 今何時だ?!


画面上部に表示されている時刻を確認する。
――二十時四十分。



まずいっ!


俺は急いで起き上がり、靴下を履いて部屋を出た。一階に降り、キッチンでコップ一杯のお茶を飲んで玄関へ。
家を出てから再び時間を確認すると、ここまでで二分ほどだった。まだ時間的に余裕はあるはずだ。



間に合ってくれよ……


俺は寝起きのダルさを引きずりながら、必死に足を動かした。既に空は暗く、夕食時も過ぎたからか、通り過ぎる民家からは灯りだけが漏れて見える。
そんな静かな住宅街の中、俺はαデパートの方面に向けて全力疾走した。
繁華街の一角――αデパート前の広場に着くと、そこには三人の男女が並んでベンチに座っていた。俺が近づくと、そのうちの一人の男が立ち上がり、声をかけてくる。ちなみに、時間は午後八時五十分で、全力疾走したおかげか、充分に間に合った。



間違っていたらすまない。株式会社DPlayからのメールを受け取ってきたのか?





あぁ、そうだけど……


どうやら俺と同じ、鬼ごっこの参加者らしい。
ガタイのいい男は、後ろの二人に振り返って頷いた。それに頷きかえし、二人が立ち上がる。



俺たちも君と同じでメールが届いたんだが、会社名に覚えは無い。君は?





俺も知らないんだ。最初は迷惑メールだろうって思ったくらいで……


そう説明すると、ガタイのいい男の隣に並んだ金髪の男が反応した。



そうそう、普通は疑うよね~!


何だか楽そうに笑う金髪の男に、俺は苦笑いで答える。
と、その男はガタイのいい男越しに並ぶ女の子を覗きこんだ。



絢香ちゃんなんて「どうしよう……いくら払えばいいのかな……?!」なんて大慌てだったしね~!


その茶化すような言葉に対し、絢香と呼ばれた女の子は顔を真っ赤にさせて俯く。



だ、だって……


何か言い返そうとしているようだが、続く言葉は無い。
それからしばらく、金髪の男が女の子を弄る様なやりとりが続いたが、ガタイのいい男が間に入ったことで終了した。既に女の子の方は泣きそうになっている。



輝(あきら)、もういいだろう





あはは、流石にやりすぎたか~





もう、酷いよっ!


怒る女の子に、笑いながら謝る輝という金髪の男。
その二人にため息をつき、ガタイのいい男は俺へと向き直った。



うるさい連中ですまない





いや、妹いるし、こういうのは慣れてるから





そうか、君にも妹が……。
ちょうどいい。自己紹介しよう


男の提案に頷き、また女の子を弄っていた金髪の男を止めて、三人で簡単な自己紹介をしていく。



俺は宝条学(ほうじょうまなぶ)だ。よろしくな





オレは斎藤輝(さいとうあきら)! これからよろしくっ!





黒谷陽炎だ、こちらこそよろしく





陽炎とは、変わった名前だな





よく言われるよ……


さすがに慣れたが、小学校時代は弄られ具合がすごかった。まあ、あれくらいの年だったら興味を持って当然だろう。標的にされる俺は堪ったものではないが……。



…………


と、次は女の子の番なのだが、恥ずかしいのか俯いたまま話そうとしない。
俺たちが注目する中、宝条学に後押しされたのもあり、ようやく口を開いた。



あ、あの……宝条絢香(ほうじょうあやか)といいます。よろしくお願いします……





うん、よろしく





…………


宝条綾香は、宝条学の後ろに隠れてしまった。普通に笑いかけたつもりだったんだけど……。



まあ、これが絢香ちゃんの普通だから。ショック受けなくていいよ~


加えて何だか悲しいフォローもされた。ショック受けたと思われるからその発言はやめてほしい……。



……あれ?


と、ここであることに気が付いた。



もしかして……兄妹?


宝条学と宝条絢香。苗字は同じだ。
二人は顔を見合わせた後、その通りだというように頷いた。



そういえば言ってなかったな。お察しの通り、俺と絢香は兄妹だ。





そうだったのか……


道理でさっき、「君にも妹が……」って言ってたわけだ。
俺は更に、三人が小さいころからの仲であることを聞いた。何でも、小中高と同じらしい。



オレと学は大学も同じだけどな!





ずっと一緒なんだな……


もうそこまで行くと、三人が兄妹のようだ。



……ってあれ? 大学……?


とある単語に引っかかる。



……あ


宝条学と斎藤輝――二人は普通に年上だったのだ。



すいませんっ!


俺は急いで謝り、弁明――と言うよりは言い訳を並べたてた。無様だ……。
対する二人からは――。



別に気にしていない。君が敬語を使っていないことに悪意があったとは思えないし、これからもタメで接してくれ





オレもそれでいいぜ。正直、敬語とか怠いもんなぁ~!


優しい二人で良かった……。心からそう思い、感謝を述べる。
――と、とりあえずは、これで全員の自己紹介が終わった。時刻は八時五十六分。そろそろ集合時間だ。
俺たち四人はベンチに腰掛け、その残り時間を過ごすことにした。他愛のない話で、間が埋められていく。
――そして、いよいよ九時になろうというとき、ほぼ同時に六人の男女が広場にやってきた。姿形に統一性は無く、全員が皆いぶかしげに各々を見回している。
その中で、俺が来た時のように、宝条学が先陣を切った。恐らくこういうのに慣れているのだろう。リーダーの素質とでも言おうか。



皆さん、株式会社Dplayのメールで来た方々ですか?


宝条学の問いかけに、全員が態度を変えずとも頷く。
そしてその中で、スーツ姿のいかにも堅実そうな男が一歩前に進み出た。



そうだが、君もか?





はい。後ろにいる三人もそうです





ふむ……


男は考えるように顎に手をやり、沈黙した。それはまるで、私が話すまで一言も喋るなと言われるようで、誰もが倣うように沈黙した。
そうして静寂が場を支配し、段々と居た堪れなくなってくる。
――やがて、宝条学が口を開こうとした、その時。



皆様、お集まりいただき感謝いたします


突然背後から、そんな声が聞こえてきた。
