父が亡くなった事で両親を失った俺は、心の中に何かポッカリと穴が空いた状態になった。生きている間はろくに実家に帰りもせず、散々親不孝したというのに。
親不孝といえば、結局、孫の顔を見せる事は出来なかったし、夫婦別姓も理解してもらえなかった。この事は結婚以来ずっと引っかかっていた事で、この事を親に言われるのが辛くて実家に帰る気がしなかったという事情もある。父が亡くなった後も、この事が頭を離れず後悔の念がずっと消えなかった。でも後悔し続ける日々を送るなかで、ある時ふと疑問が生じた。
「俺って両親を喜ばせるために結婚したの?」
思えば、男性との初体験の後にも似たような感覚を持った。
親不孝したくなかったから、男性を好きになる事を封印した過去だ。
男性が好きな事を封印してまで結婚したのは、もちろん妻を本気で愛していた事が一番の理由だし、それは愛の形は変われど今も同じだ。裏切り行為をし続けている男が何を言っても説得力は無いかもしれないが。
だが、両親を喜ばせたいというのも、結婚した理由のひとつである事は間違いない。
両親が亡くなった事で、その理由のひとつが消えたいま、年齢的な事もあって、俺はこのままの人生で良いのだろうかという焦りのようなものを感じ始めたのもまた事実だ。50代ともなると人生の先が見えてきたような気がして、焦りや虚しさを感じるようになる人は多いらしい。コロナ禍になって以降は、身近な知人がコロナで亡くなった事もあり、いつ死んでもおかしくないといった恐怖感が、更にその思いを加速するようになった。
そんな思いが頭から離れなくなってきてしまって、俺は居ても立っても居られなくなってきた。癌から生還した時には、残りの人生はオマケみたいなものだと思った事もあり、もう自分に嘘をつき続けるのは止めたいと思った。またゲイ活を再開すると天罰が下るかもしれないけど、それでもし死ぬ事があっても、もうそれはそれで良いやってさえ思えるようなってきた。自分に嘘をつき続け、後悔しながら長生きするより、ずっとそっちの方が良い。
俺が死んだら悲しんでくれる妻がいるというのに、なんて本当に身勝手な考えなんだろうと思う。自分を偽り続けた人生に妻を巻き込んでしまった罪悪感もある。でも、この先の人生は自分に正直に生きたいって思いを抑えることが出来ない。なんか毎日苦しいです。