雪はその言葉を聞くや否や、
座敷に置いてあった盆を乱暴に
叩きつけるように置き、怒りを
露わにしました。
その翌日のことでござった。「雪乃屋」では、鷹丸が相も変わらず昼日中から寝転び、
欠伸(あくび)を漏らしており申した。日差しが障子越しに射し込む中、
女主人の雪はとうとう堪忍袋の緒が切れた様子で奥座敷へ足を踏み入れ、声を荒げたのでございます。
ちょいと、鷹丸! いつまで寝てるんだい! 昨日の仕事はどうなったんだよ!
ふぁー……ゆっくり寝てもいられねえな
寝てる場合かい! まさか、失敗したんじゃないだろうね?
ちょいとした事故があってな……昨日は無理だった
なんだって!? まさか、顔を見られて逃げてきたんじゃないだろうね?
いやぁ、そんな野暮な話じゃねぇよ。きれいなメス猫ちゃんがいてな
……顔を見られたってわけかい?
まぁな。名前は澄音(すみね)っていうらしい。それがまた、かわいい名前じゃねぇか
雪はその言葉を聞くや否や、
座敷に置いてあった盆を乱暴に
叩きつけるように置き、怒りを
露わにしました。
バカ野郎! 顔を見られたらおしまいだよ!
だが、鷹丸は意に介する様子もなく、
再び寝転んで欠伸を漏らした。
大丈夫だって。あの娘は俺のこと、泥棒だなんて思っちゃいねぇさ
……なんだいそれは?
あんたがやらないって言うなら....
次の瞬間、
着物の裾からそっと何かを取り出した。
それは短く光る忍び刀。
おいおい、何しようってんだよ?
そのメスを殺すのさ
バカ言ってんじゃねぇ!
鷹丸は飛び起き、雪の腕を掴んだ。
いいかい、鷹丸。あんたみたいな妖(あやかし)混じりなんざ他にいねぇんだ。
すぐに奉行所に目ぇつけられる。放っておけば厄介事になるだけさ
わかった、わかったよ! 俺がなんとかするから、落ち着けって!
鷹丸がそう静止すると、
お雪は渋々ながら刀を収めた。
しっかりやりなよ。それができなきゃ、私の手で片付けるからね
あーあ、わかったよ
そう言い放ち鷹丸は背を向けて
店を出たのでございます。
その背中には、いつもの気楽さの裏に隠れた、何かを背負う者の
影が揺れておりました。
さてさて、昼間の猫鳴町。
街をふらりふらりと歩く鷹丸、
その表情には少々の疲れが見て取れる。
店を追い出され...いやはや、
ぼそりとつぶやく声が聞こえてくる。
ったく、お雪の奴、短気にも程があらぁな
鼻歌まじりで歩いていると、
角を曲がったところで、
どしんとぶつかる。
その相手はどっしりとした体躯の
大男、否、大雄猫でござる。
ん?
その名を剛志(ごうし)と申す。
元は土俵を賑わした相撲取りに
ござるが、怪我により引退。
今は用心棒として生計を立てる
立派な猫でござる。
剛志は見下ろすように鷹丸を
睨みつけ、口を開く。
おいおい、どこ見て歩いてやがる。なんだ、鷹丸か。さてはお雪に追い出されたんだな?
へへ、まぁそんなとこだな
お雪に言っとけ、いつでも俺がつまみ出してやるってな。その代わり――
その先は聞かずとも分かる話。
鷹丸は手をひらひら振りながら、
剛志を軽くかわす。
あーはいはい、ありがとさんな
へっ、あの妖(あやかし)混じりめ
さて、そんな一幕を経て、
鷹丸が足を止めたのは茶屋の軒先。
そこには笑顔で客を見送る娘の
姿があった。
どうもありがとうございました!
見知らぬ客猫の背中が
遠ざかるのを見送りながら、
娘の顔には満足げな笑みが浮かぶ。
おや、茶々じゃねぇか。なんだい、そのご機嫌な顔は
あら、鷹丸!聞いてよ。今のお客さんがね、たくさんお金を使ってくれたの!
へぇ、そいつは景気がいい。で、その旦那、何者だい?
さぁ、どこか遠くから来たみたいだったけど、詳しいことは分からないわ。
でもね、なんだかすごく粋なお客さんだったわ。
そうかい
そうだ、鷹丸!寄っていきなよ。今日はとびきり美味しい団子があるのよ!
一旦茶屋の中に入り、団子を
持ってまいったが鷹丸の姿は
もうそこになく...
あれ?
茶々がきょろきょろと辺りを
見回すも、残されたのは風に
揺れるのれんと、かすかに消えていく影。
さては、風のように去るその姿、
どこへ向かったかは、皆様の
ご想像に任せるといたしましょうか。
いそぎんちくさん。いつもありがとうございます。この時代背景だと紳士的というより「粋なお客」と言った方が良かったですねwさてその客はいったいだれでしょうか。次回もよろしくお願いします。