謝肉祭、最終日。
暑い昼の日射しの下、メグはシャルルと王都ルイ・ジャンに繰り出した。
日除けの外套を羽織り、暑いので仮面は外している。なにせ、水撒きされた石畳の床は、湯気が立つほどだ。
二人は都会っ子風に冷たい果実水を飲みながら、賑やかな往来、木陰の下を選んで歩いている。
ふと、オルゴールの旋律がどこからか流れてきた。
通りの向こう側、木陰の下に、ちょっとした人だかりができている。音色に惹かれた物見客が、足を止めているようだ。
謝肉祭、最終日。
暑い昼の日射しの下、メグはシャルルと王都ルイ・ジャンに繰り出した。
日除けの外套を羽織り、暑いので仮面は外している。なにせ、水撒きされた石畳の床は、湯気が立つほどだ。
二人は都会っ子風に冷たい果実水を飲みながら、賑やかな往来、木陰の下を選んで歩いている。
ふと、オルゴールの旋律がどこからか流れてきた。
通りの向こう側、木陰の下に、ちょっとした人だかりができている。音色に惹かれた物見客が、足を止めているようだ。



お姉様? どうかしました?





何かな?


群衆を見つめたまま首を傾げると、ああ、と隣でシャルルは頷いた。



聖堂の人間が、オルゴールを披露しているのでしょう





見てみたい


興味を引かれて、メグは傍にある小路の階段を登った。
思った通り見晴らしが良い。群衆の垣根を越えて、オルゴールを奏でている様子がよく見える。
黒い、質素な修道服に身を包んだ男が、俯き加減にオルゴールの螺子を回している。
指に光る、薔薇を意匠した指輪にふと目が留まった。
異端審問官の指輪だ。
よく見れば、螺子を回しているのは、この前の晩に菓子をくれた聖職者だ。この間の晩といい、今日といい、不思議と縁がある。
優しい旋律に聴き入っていると、メグと同じ年頃の少女が二人近付いてきた。



……あ、人がいるよ。どうする?





退いてもらう?


ひそひそと喋っていた少女達は、意を決したようにメグの方へやってきた。



あのー、ごめんね。悪いんだけど、場所を代わってくれる?





……


はぁ? と言わんばかりに、メグは顔をしかめた。
すると、少女達もむっとした表情を顔に浮かべた。快諾してもらえるものと、すっかり期待していたようだ。



そこは、いつも私達が座っているのよ


少女達は不愉快そうに腕を組んだ。文句のネタを探すように、じろじろと不躾な視線を投げてよこす。
しかし、シャルルを見るなり小さく息を呑むと、さっと頬を赤らめた。



わ、綺麗……


一人が、うっとりとした表情で呟いた。



ね、どこからきたの?





名前は?


魅入られたように、代わる代わるシャルルに声をかける。途端に騒がしくなり、メグは顔をしかめた。



静かにしてよ


苛立ちも露に座ったまま睨み上げると、少女達も不快げに眉をひそめた。



こんな子は放っておいて、私達と一緒に遊ばない?





お姉様と一緒でなければ、行きません





えぇーっ?


つれない返事を聞いて、少女達はそろって声を上げた。その大音量に、メグの堪忍袋の緒は切れた。



もう、静かにしてよ! 静かにできないなら、うんと怖い目に合わせてやるッ!


少女達は、一瞬メグの剣幕に呑まれたが、すぐに険しい表情を浮かべた。応戦しようと口を開くが――



煩い。黙って


温厚なシャルルにしては、冷たい視線で黙らせた。
氷のような眼差しに、少女達はぴたりと口を噤む。ブリキ人形のように、ぎこちなく互いの顔を見合わせた。再びシャルルに視線を戻すと、忽ち魔性の瞳に囚われた。
何を言おうとしたのか、開かれた唇から言葉が紡がれることはなく……琥珀の瞳から光が失われていく。



邪魔をしないで。どこかへ行って





はい……


虚ろな眼差しで、少女達は頷いた。操られたように、従順に階段を降りていく。
その背中を、メグは顎を逸らして見送った。



シャルといると、やだな


ふつふつとした怒りが収まらず、不機嫌そうにメグが言うと、シャルルはしょげたように肩を落とした。



ごめんなさい。怒らないで、お姉様


それきりメグも口を利かず、しばらくオルゴールの音色に耳を傾けた。
やがて、町は黄昏に染め上げられた。
五〇〇年の時を刻んできた、街の中心に聳える古の時計塔が、夕暮を告げる。
一日が終わろうとしている。
大道芸を楽しんだ後、街を練り歩いていたメグも、次第に疲れてきた。
そろそろ帰ろうか……
そう思ってシャルルを振り向くと、小路の奥、古びた建物の扉が開く様子に視線を奪われた。
出てきた男は、オルゴールを奏でていた、丸眼鏡の聖職者だ。
これで三度目。つくづく縁がある。
じっと見ていると、向こうもメグの視線に気付いて、軽く会釈した。



……





……


どこにでもいそうな、これといった特徴のない聖職者なのに、妙に印象に残る。なんとなく、遠ざかっていく男の背中を眺めてしまう……



お姉様?


なかなか動こうとしないメグを見て、シャルルは不思議そうに首を傾げた。



あの建物、入ってみたい





え?





なんだか気になるの


古ぼけた看板に、既視感を覚えた。どこかで見たことがあるような……悪夢を渡り歩いていた時に、見かけたのだろうか。



でも……





シャルが行かないなら、私だけで行く


意気軒昂にメグが歩き出すと、小さなため息が落ちた。仕方なさそうに、シャルルも後ろをついてくる。
倉庫の扉上には、消えかけた文字でロワル貯蔵庫と書かれていた。今は使われていない、酒を寝かせる為の蔵のようだ。
闇が色濃くなる中、二人は寂れた蔵に押し入った。
中はしんと静まり返り、陰気な空気に満ちている。入り口から斜めに入りこむ光も途絶えると、いよいよ室内は真っ暗になった。
どこから出現させたのか、シャルルはランタンに青い明かりを灯す。
外は寂れていたが、中は意外としっかりとした造りをしている。天井も高く、十分な広さがある。横穴を覗けば、すぐにでも使えそうな葡萄しぼり機が幾つか見えた。
ひんやりとした地下道を進むと、やがて強固な鉄扉の前に辿り着いた。



シャル


名を呼ぶと、心得たようにシャルルは扉の前に立った。手をかざしただけで、強固な鉄は砂となって砕け落ちる。
蟠った闇に、メグはランタンをさしむけた。
土壁の廊下が奥まで続いている。道なりに進み、少しだけ開いている扉の前で、足を止めた。
こんな場所だし、尚更、隙間を覗くのは勇気がいる。そっと、扉を手で押した。



……ッ


濁った血が視界に映り、メグは小さく息を呑んだ。微かに身震いするメグの手を、シャルルはしっかりと握り返す。
拘束具のついた作業机の上は、どす黒く変色しており、中央に丸い穴が開いていた。
その真下、床に置かれた盥は空っぽだが、不気味な血痕がこびりついている。



酷いわね……


ここで、夥しい数の何かを、誰かが殺して処理していたのだろう。眉をしかめながら微細を観察していると、シャルルに腕を引かれた。



お姉様、もう行きましょう


促されるまま部屋の外へ出ると、小さな物音が鼓膜に届いた。



今、何か


探るように視線を投げると、シャルルの瞳が光った。暗闇の中でも、燐光を放つように蒼く仄かに輝いている。



……子供が一人います





え? どこ?





この先を曲がった、部屋の中に


シャルルの指差す方、メグは瞳を凝らして見つめた。暗くてよく見えないが、彼が言うからにはいるのだろう。



気になるわ


静止を無視して、メグは突き進んだ。



誰かいるの?


ランタンでは明かりが足りず、夜目の利かないメグの為に、シャルルは青白い炎を手に閃かせた。



……ッ


小さく息を呑む気配がした。ぼうっと照らされた闇の奥に、蹲る小さな影が見える。



誰なの?





……ミハイル


か細い声で応えた。檻の中を覗き込むと、やせっぽちの薄汚れた少年が、こちらを見ていた。



シャル、檻を開けてあげて


頑丈な檻の南京錠を、手を触れずにシャルルは開けた。



君達は、誰?


ミハイルと名乗った少年は、怯えきった眼差しで、メグとシャルルを仰いでいる。鍵は開いたのに、隅で縮こまり、檻から出てこようとしない。



私は――





檻は開けたし、枷も外しました。あとは好きにすればいい。お姉様、もう行きましょう?


名乗ろうとするのを遮り、シャルルはメグの手を引いた。



ま、待って!


檻の前を横切ると、ミハイルが檻を出てついてきた。
けれど、メグが後ろを振り向こうとすると、シャルルはメグの肩を抱き寄せて歩くように促す。



待って





でも





あの子も連れていく





えぇ?


シャルルは不満そうな声を上げたが、ミハイルは窺うように近付いてきた。



あの、助けてくれて、ありがとう


人間に感謝された。
奇妙な表情を浮かべるメグの隣で、シャルルは無関心そうにしている。



なんでこんな所にいたの?





……売られて、僕を買った男が、ここに入れた。僕の他にも何人かいたんだけど、僕だけ残った





酷い目に合ったのね。一体、誰にやられたの?





……言っても、信じないと思う





もしかして、丸眼鏡の聖職者?


驚いた顔をするミハイルを見て、やっぱり、とメグは冷めた笑いを浮かべた。



外見はあてにならないって、よく知っているの


話しているうちに、入り口に辿りついた。慎重に周囲を観察したが、男が戻ってくる気配はない。



……帰る家はある?


メグにしては親切に声をかけると、ミハイルは表情を曇らせた。



えっと……





あるなら、近くまで送ってあげてもいいけど





……


虚ろな眼差しで、ミハイルは視線を彷徨わせた。憔悴しきった身体で、今にも倒れそうだ。



一緒にいく?


手を差し伸べると、ミハイルは呆けたようにメグを見た。顔は薄汚れているが、双眸は翡翠のように美しい。
宝石のような瞳を、密かに賞賛するメグの隣で、無関心を決め込んでいたシャルルは、むっとしたようにミハイルを睨んでいる。この展開がお気に召さないようだ。
魔性を帯びたシャルルの瞳を見て、ミハイルは慄いたように後じさった。



シャル


窘めるように名を呼ぶと、シャルルは不服そうにメグを見た。



お姉様。人間なんて連れ帰って、どうするつもりですか?





だって、行くところないみたいだし。放っておいたら死にそうだし


綺麗な瞳をしているし、と心の中で付け加える。ミハイルは戸惑ったように、メグとシャルルを交互に見た。



人間って……





ミハイルは人間でしょ





君だってそうでしょう?





私は悪魔よ





え……でも





心配しないで。ミハイルに酷いことはしない


メグは微笑むと、細い腕を引いてミハイルを抱きしめた。



お姉様!





わ、ミハイル汚いなー。しょうがないか……


不衛生な場所に監禁されていたミハイルは、とても汚れていた。顔も薄汚れていて、造形を判別し違いほどだ。
両腕に抱きしめると、目線は彼の方が高い。宝石のような翠瞳を丸くして、金縛りにでもあったように、メグの腕の中で大人しくしている。碌に食べていなかったのだろう。華奢というより、病的な細さだ。



大丈夫よ。安全な所に、連れていってあげるから





……


なるべく優しく聞こえるように言うと、ミハイルは緊張の糸が切れたように、メグにもたれかかった。



わ、わ


こんなにやせ細った少年なのに、意識のない人間はやたら重たく感じる。



う、重っ! シャル、早く連れていって





嫌です





なんで?





嫌です。お兄様達にも怒られます





いいから早く!


焦れて急かすと、シャルルは珍しく悪態をつきながら、ミハイルを抱きしめたメグごと抱きしめた。
