その日は、まだ春の陽さしが弱く、暖かな風が時々ひゅうひゅうと吹くだけだった。
西暦二〇九九年三月一日、香港にあるネオ九龍の中層の|驪小街路《リーシァォジェルー》にて、一人の少年が屋台のおやじに声をかけた「おっちゃん、串焼きひとつ」
少年の名前は|祓 鼓華《フー・グーファ》、一見すれば美少年だが、その眼差しは老成した兵士のように眼光が鋭利であり、表情が柔和であれ腹の底が読めないものであった。
「ほいよ」
屋台のおやじが、串焼きをひとつ渡す
「10クーロンドルだよ、坊主」
鼓華は串焼きを左手に持って、腰に巻いたポーチをまさぐった「う〜ん、あのさ、小銭が多くなってもいい?」
屋台の向こうから、がははと豪快な声。
「いいってもんだ、この辺じゃ、食うだけ食って払わねぇ連中だっているからな」
鼓華が小銭を掴んで、おやじに渡した。
「ちょうどあるはずだよ、おっちゃん」
「まいどあり!」
代金を渡した少年は、そのまま串焼きを食べながら背を向けて、歩き出す、ここに長居をするのは危険だという感覚があるからである。
――――――
そのまま、裏路地へと向かう。
ネオ九龍は入り組んでいて、いっかい裏路地へ入ったら、出口を忘れて野垂れ死ぬ者も少なくない。
(追っ手がひとり、|手練れ《つよいやつ》だな)
彼は後ろを振り返った。
(……今は武器がない)
ふと、左手に持った串を見る。
それに刺さっていた肉はとうになく、鋭角な先端にどこかの配管から垂れた雫がついたのか、水滴が煌めいている。
「かかってこい、第三次世界大戦帰りの強化兵を舐めていると痛い目に遭うのを知らないのか」
その言葉とともに、背後から銃口を突きつけられたのか、硬い感触が後頭部に当たる。
「悪ぃな、俺も強化兵だったんだよ」
「久しぶり、|饕餮《タオティエ》製グラディエーター型五号さんよ。あんたの鬼神みたいな戦い方が懐かしいぜ」
鼓華は着ている中華服の、ちょうどウエストポーチのベルトにあるホルスターへ手を伸ばした。
振り返りざまに一発、威嚇射撃。下水管が爆ぜ、背後にいた男が避けた拍子に横髪がはらりとおちた。
「|渾沌《ホェントェン》製アサシン型二八号か、相変わらずバカみたいに小賢しいね」
|渾沌《ホェントェン》製アサシン型二八号――略称はHd_Assa.29である――彼はそのまま短剣を抜きさり、彼の首めがけ、その腕を伸ばした。
鼓華は髪が長い。
黒く、光のあたりようによれば茶髪に見えるそれを、一本の三つ編みにしている。
そして、首元にはファーのようなものを首に巻いているが、これは首を保護するものだ。
彼はHd_Assa.29の短剣を避けるため、身体を後ろへ垂直に倒し、左手に串、右手に拳銃を持つ。
そのまま倒れ込むようにしながら、串を投げた。
「てめ、やりやがったな!」
そもそも料理用の竹串は人体を貫通しないが、野球選手のように手首にひねりをつけ、勢いのある速度で投げたからか、敵の右手首に突き刺さった。
鼓華はリンボーダンスに似た姿勢から立て直すために、一回転する。
彼の目的は人を殺すことではないので、そのまま走って逃げたのだった。