16 とある兄の語る事件3
16 とある兄の語る事件3
ソルは荒い息を吐きながら、全速力で炎の中を走る。
顔を上げて、目を凝らして先を見据える。
そこに、ぼんやりと人の姿が見えた。
探していた相手を見つけて安堵する。
そして同時に、違和感を抱いた。
彼女が居たのは、いつも居るはずの地下ではなかったのだ。
その地下書庫に続く入口の扉の前だ。異変を察して出てきたのなら、おかしなことではない。それなのに、違和感が拭えない。



………


扉に向けられたのは暗い瞳と不敵な笑み。
そして、ガンガンと何かが転がり落ちるような音が扉の向こうに響いている。



……っ





………


ふいに視線が動いた。
ゆっくりと、時間をかけて、こちらを見るワインレッドの双眸。
視線と視線が絡み合う。
エルカは一瞬目を細めた。
手に持っていた鍵で地下書庫の鍵を閉めると、その鍵を炎の中に投げ捨てた。



どうしたの?


ソルに視線を固定したまま小首を傾げる。
燃え盛る炎なんて気にもしていないような涼しい表情を浮かべて彼女は笑う。
抑揚のない声に、ソルの意識はクリアになる。



(何 を し て い た ?)


すぐに、その問いが浮かび上がったが、今はそれどころじゃない。
余計なことは考えない、気にしない、とにかく早く外に連れて行かなければならない。
そう思って、彼女のもとに駆け寄る。



……逃げるぞ





逃げる? どこに? 逃げ場所なんてないよ。私ね、お爺様の大事な書庫を穢してしまったの。私は自分が逃げる場所を穢してしまったの。鍵もないのに、どうやって逃げるの?


彼女は不思議そうにソルを見上げる。
明らかに様子がおかしかった。
これは、さっきまでの自分に似ているような気がした。
だから、ソルには分かってしまう。
これは感情が高ぶって、我を失っている人間の目だ。
おそらくエルカは、炎の中に残って楽になろうとしているのだろう。
ソルは捕まって楽になろうとしていた。
しかし、彼女のことを助けなければ……捕まっても楽にはなれないような気がした。永遠に楽にはなれない。きっと命を落とした後も楽にはなれない。
だから、ソルはエルカの行動を阻止する。咄嗟にその腕を掴んでいた。



何言っているんだよ……逃げるんだ





どうして? 逃げるなら一人で行けば良いのに





この状況を招いたのはオレだからだ。オレの所為でお前を困らせたくないんだ





そうなの?


エルカはキョトンとした目でソルを見上げた。
燃え盛る炎の中にいるのに、彼女は少しも焦りの色を見せていない。
ソルはここに来るまでに色んなところにぶつかって擦り傷だらけだった。
息苦しさを感じながら、自分の犯したことを彼女に告げる。



母さんたちを殺した……多分、火もつけたと思う。お前がいたのに





……知っていたよ。殴っているところ、あの二人を殴り殺しているところ……私、見ていたから……


エルカは濁った目のまま笑みを浮かべた。
その表情から不気味な美しさを感じ、ソルの背中を冷たい何かが流れた。



………えっ





知っているよ。だけどソルは悪くないってこと。他に選択肢がなかったのよね。だから二人を…………


焦点の定まらない視線がソルに向けられる。
エルカはソルの心に踏み込むように、囁くように呟いていた。



お前……行くぞ!





だから、私は、ここにいるの


やはり、エルカは逃げるつもりがないらしい。
落ち着いた口調でそう言うと閉ざされた扉に寄り掛かる。
このまま、炎の中に残るつもりなのだろう。
そんなことはさせたくなかった。



(今朝、お前のことをナイトから任されていた……だから、オレはここにいる。いや、違う………それだけじゃないんだよ)


彼女を死なせたくないと思う気持ちはソルのものでもあった。
このままでは、二人とも黒焦げになるだろう。
だから、ソルはエルカの腕を力強く掴んだ。



行くんだよ………っ





え? ちょ………


彼女は断固として動こうとしなかったので強引な行動を取っていた。
後で抗議されるだろうが仕方ない。
ソルは米俵を担ぐように、彼女を担ぎ上げていた。



(悪いな……女の子を優しく連れて行く方法を知らないんだよ)


そんな言い訳をしながら、ソルは炎の中を走り出していた。
