秀治郎さんが突然あっ、と声をあげる。

先ほど下ろしてからずっと抱えているリュックの中を、またガサゴソし始めた。何を取り出すのかと思ったら、出てきたのは何やらカラフルな手帳だった。

その手帳には、ポップな可愛らしい絵柄で、ピンクや黄色のくまのイラストが描かれていた。

秀治郎さんは、適当なページを開いて中身を見せてくれた。見開きに大きくカレンダーが印刷されてあり、そこにたくさんのことが書き込まれていた。大学生はこんなにも予定があるのか。大変そうである。

顔を両手で覆って、秀治郎さんは叫んだ。違っていて少し安心したのと同時に、どうしてこんなスケジュール帳を使っているのか不思議に思った。

お隣さんに貰ったものだったのか。それでも、そのお隣さんがこんなにも可愛いスケジュール帳を、秀治郎さんのために選んだ意味が分からない。

それを聞いて、私は思わず頓狂な声を上げた。
男ならなおさら意味が分からない。

ムカついたあまり、思わず飴をガリッ、と噛んでしまった。

同じクラスにいる仲の悪い女の子を思い出した。私とその子はいつも衝突してしまい、よくまわりに迷惑をかけている。今更だが、みんなに申し訳ないなと思った。

うーん、と少しの間唸ってから、右端にいた少し見切れている黄緑色のくまを指さす。

眠そうな目が可愛らしいと思った。

そう言うと、秀治郎さんはスケジュール帳の最後のページを開いた。そこには、表紙と同じくまたちがずらりと並んでいた。

黄緑色のシールを一枚はがし、私の左手の甲に貼ってくれた。

ついこの間、体中にシールを貼って遊んでいたら、かぶれるからやめなさい！　と母に怒られた。

またリュックの中を探ったかと思うと、取り出したのは先ほどのサクラ式ドロップスの缶だった。

どうしようかと迷っていたら、秀治郎さんは私の手からシールをはがして缶の底の部分に貼った。人の指がたくさん触れる可能性がある側面に貼るとはがれてしまうと思ったから底に貼ったのだろう。

私はぎこちない動きで缶を受け取った。

缶をひっくり返して、底の部分に貼ってあるシールを見る。何度見ても、この眠そうな目をしたくまちゃんは可愛いと思う。

まさかと思って顔を上げると、確かに彼はリュックの中から二つ缶を取り出して見せた。

秀治郎さんもなかなかひどい人だ。しかし嫌いではない。

ふと思ったことを聞いてみた。

たまに、イノシシが町に下りてきて人を襲う事故が発生したというニュースを目にする。それを思い出して顔を青くすると、秀治郎さんに笑われた。

舌の上で、小さくなった飴を転がしながら、数秒間考える。

ついこの間も、リスが電線の上を歩いているのを見た。

ラグラスというのは、別名バニーテールと言って、ふっくらとした丸みのある穂が可愛らしい植物である。

一度兄が、猫じゃらしだー！　と言って五、六本抜いているのを見て、私はアイツに延髄（えんずい）チョップをお見舞いした。どこをどう見たら猫じゃらしなのか。

それに、リスが人を襲うことなんてほとんどない。

下を向いて手元にある缶を再び見たとき、聞き覚えのある、しかしどこか必死な声が耳に入ってきた。

その声に、私は反射的に立ち上がって声のした方に体を向けた。

秀治郎さんの言葉に、鼻の付け根がツン、と痛くなる。

早く会いたいと思っていた大好きな三人の姿に、私の口角がピクピクと痙攣し出し、視界がぼやけてきた。瞬きを一つすると、両目から大粒の涙がこぼれ落ちた。

一目散に駆け出して、私は両腕を広げていた母の胸に飛び込んだ。

レトロ缶を見つめてニヤニヤしながら回想をしていたら、突然部屋のドアが開かれた。

なんと母だった。
ドアが開いた瞬間、ふわっ、とカレーの香りがしたので、昼食ができたと呼びに来たのだろう。

一瞬の静寂。

すぐに謝り、昼食を食べるために部屋を出ようとしたが、母に片手で止められてしまった。

カレーうどんは和菓子の次に好きな食べ物である。

私は慌てて机に向かい、シャーペンを握りしめて問題の一問目に目を通した。

パタン、とドアが閉められる音がした後、私はふと思った。

よく考えてみたら、訛っている口調――十年近く東京に住んでいるらしいが未だに訛っている――とか、何よりもあの優しそうな雰囲気があのお兄さんにどこか似ている。

あんな物忘れが激しい人が、あのお兄さんのわけがないわ！

首を左右に激しく振り、ノートにシャーペンを走らせた。

床に置きっぱなしにしていた缶を踏みつけて、その痛みにひどく苦しむのは、今からおよそ五分後のことである。